2009年06月16日

食品の加熱・解凍以外の用途に電子レンジを

食品の加熱・解凍以外の用途に電子レンジを使用することは、原則的に各製造メーカーは認めておらず、動作保証対象外である。こういった電子レンジ利用製品の中には、一定限度を超えて加熱すると破裂や発火の虞がある物もあるが、加熱時間は電子レンジ側の出力により変わることを知らないままに表示されている時間通りに加熱して、事故を起こす場合もある。

湿布や湯たんぽ・おしぼりなど調理以外の用途に電子レンジを使う商品も出回っているが、扱いは慎重に行う方が望ましい。破裂や内容物の漏出といった事例も報告されている。
ドライフラワーを作るのに電子レンジを利用する方法もあるが、こちらもメーカー側ではそのような用法を想定しておらず、トラブルは保証対象外である。
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その他 [編集]
「電子レンジ」という名前は、安全でスピーディーなこの装置を東海道本線の電車特急「こだま」(151系電車)に搭載する際、国鉄の担当者のひらめきによって命名されたのが最初とされる。その後市販品にも使われ、一般的な名称となっていった。

都市伝説として「飼い猫を電子レンジで乾燥」というものがあった(俗称猫チン事件)。内容は、ある主婦が飼っている猫を洗った後、毛を乾燥させるために電子レンジを使用したところその猫が死んでしまい、主婦は「電子レンジの取扱説明書に『ネコを乾燥させてはいけません』とは書かれていない」と主張、製造メーカーの落ち度であると裁判になり、企業側が敗訴し多額の賠償金を支払うことになり、結果として電子レンジの取扱説明書に「ペットを入れないで下さい」という注意書きを書くに至ったという話。ただし実際にこのような訴訟があったという記録は無く、日本の法律においても電子レンジにそのような注意書きを添える義務も無い。

2005年8月、アメリカオハイオ州デイトンで当時25歳の母親が電子レンジに自分の赤ん坊の娘を入れてスイッチを押し2分以上加熱したと見られる。このため、高温の熱による内臓損傷により死亡。殺人罪で逮捕・起訴され、2008年9月8日、終身刑を言い渡された[5]。また、同じくアメリカで2007年5月、アーカンソー州ジョシュア・モールディンで当時19歳の父親が電子レンジに2歳の娘を入れてスイッチを押し、全身に三度の火傷の重傷を負わせたとして逮捕された。

電子レンジを electronic oven とするのは誤用で、正しくは microwave oven (マイクロ波オーブン)である。

生の魚介類や肉類には食中毒の原因となる菌が

生の魚介類や肉類には食中毒の原因となる菌が多く付着している。これらの食材自身は、加熱殺菌して食べたり、あまり時間を置かずに食べるなどして食中毒を防止できるが、しばしば盲点となるのはこれらを加工調理した器具に付着した菌である。調理器具の洗浄が不十分であった場合、器具上で菌が増殖してしまい、次に加工する食材に毒素とともに付着してしまうことがある。また、菌が調理器具を経由して生で食べる食材に付着してしまうこともある。包丁の柄は洗い残しやすい部分であり、注意が必要。

この問題を避けるためには、魚介類・肉類用の調理器具と、野菜など用の調理器具を分けるのが効果的である。特にまな板は一般家庭の調理においても、魚介類・肉用とその他用で分けることが強く推奨される。複数のまな板を準備するのが困難である場合、まな板の両面で使い分けるだけでも効果がある。 集団給食の調理場などではこれを徹底するために、色違いのまな板を用いるなどの工夫がなされていることが多い。
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また、できるだけ生食の食材の加工を先に行ない、肉類は最後に切り刻むように心がけることも予防につながる。(調理手順の都合でそのようにできないことも多いが。)もちろん、食材の加工ごとにこまめに調理器具を洗浄することが最も重要であることは言うまでもない。

調理器具とともに、手の洗浄も重要である。糞尿には菌が極めて多数含まれているので、調理中にトイレに行った場合には必ず石鹸で手を洗わなくてはいけない。集団調理においては、石鹸による洗浄の後に消毒用アルコールによる殺菌を義務づけているところも多い。手と同様に、食器の扱いにも注意が必要である。例えば、焼肉店などでは生肉を焼くときに用いる箸と、焼いた肉を食べる際に用いる箸は別々にすることが推奨される。

日本の水道水においてはほぼ問題になることは無いが、食材を洗う水に菌が混入していることもある。キャンプなどにおいて、川の水で洗った野菜を生食することがあるが、これには注意が必要である。また、途上国を中心とした上水道設備が十分でない地域においては、水道水も安全ではないと考えた方がよい。 これらの場合には、水を一度沸騰させてから使用するか、ポビドンヨード(イソジンガーグル)などのうがい薬(口中殺菌剤)を少し入れて使用すると食中毒を予防できる。

2009年05月30日

弥生時代

弥生時代(やよいじだい)は、北海道・沖縄を除く日本列島における時代区分の一つであり、縄文時代に後続し、古墳時代に先行する、およそ紀元前10世紀中頃(ただしこの年代には異論もある)から3世紀中頃までにあたる時代の名称である。具体的には、稲作技術導入によって日本での水稲耕作が開始された時代である。

弥生時代は、水稲耕作による稲作の技術をもつ集団が列島外から北部九州に移住することによって始まった(しかし、1994年、縄文末期に属する岡山県総社市の南溝手遺跡(みなみみぞていせき)の土器片中からプラント・オパール(イネ科植物の葉などの細胞成分)が発見され、さらに同県真庭市美甘(みかも)姫笹原の4500年前の土器にもプラントオパールが発表され、2005年には岡山県灘崎町の縄文時代前期(約6000年前)の地層から大量のプラントオパールが見つかり、少なくとも約3500年前からすでに陸稲(熱帯ジャポニカ)による稲作が行われていたとする学説が数多く発表され、また水稲である温帯ジャポニカについても縄文晩期には導入されていたともいわれ、現在では弥生時代のはじまりと定義される稲作開始時期自体が確定できない状態である)。
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「弥生」という名称は、1884年(明治17年)に東京府本郷向ヶ岡弥生町(現在の東京都文京区弥生)の貝塚で発見された土器が発見地に因み弥生式土器と呼ばれたことに由来する(なお、その後の都市化の進展などもあって正確な発見地は特定できなくなっている)。 当初は、弥生式土器の使われた時代ということで「弥生式時代」と呼ばれ、その後徐々に「式」を省略する呼称が一般的となった。なお余談だが、弥生時代の名称の起源となった、弥生町で出土した一群の土器は、現在の土器編年上では古墳時代前期に属するとの説が有力になりつつある。

庄内・清川口の戦い

庄内藩では、江戸市中警備を行っていた新徴組を引き上げるのに当たって、その褒賞として最上川西岸の天領を接収してしまう。4月10日、このことを口実に奥羽鎮撫府は庄内征伐を決め、久保田、弘前両藩に討ち入りを命じた。14日には副総督沢為量ら討庄軍が仙台を出発して庄内藩の討伐に向かい、奥羽諸藩の兵とともに新庄城を拠点に庄内藩へ侵攻した。24日に清川口で最初の戦闘が発生したが、庄内軍が薩長軍を撃退する。この段階では各藩とも戦闘に消極的であった。
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会津藩と庄内藩はともに朝敵とされたことから、会津藩は南摩綱紀を庄内藩に派遣、4月10日に庄内藩重役の松平権十郎らと会合を持ち、会庄同盟を結成する。そのころ庄内藩は、当時日本一の大地主と言われ藩を財政的に支えた商人本間家の莫大な献金を元に商人エドワード・スネルからスナイドル銃など最新式兵器を購入するなど軍備の強化を進めており、それが会津藩を勇気づけることとなった。結局、前述の仙台藩の会津出兵による説得は功をなさないものであったと言えよう。

こうした中、閏4月4日米沢藩・仙台藩4家老の名前で、奥羽諸藩に対して列藩会議召集の回状が回された。閏4月11日、奥羽14藩は仙台藩領の白石城において列藩会議を開き、会津藩・庄内藩赦免の嘆願書「会津藩寛典処分嘆願書」などを奥羽鎮撫総督に提出した。しかしこれが却下されたため、閏4月19日諸藩は会津・庄内の諸攻口における解兵を宣言した。

2009年04月27日

衛星攻撃兵器

衛星攻撃兵器(えいせいこうげきへいき、Anti-satellite weapon、ASAT)は、地球軌道上の人工衛星を攻撃する兵器である。対衛星兵器と呼ぶこともある。

1950年代に初期の写真偵察衛星が実用化されるとすぐに、敵側の軍事衛星を攻撃する手段である衛星攻撃兵器の開発が始まっている。アメリカ合衆国では地上から打ち上げたミサイルを人工衛星に直接体当たりさせる直接上昇方式(Direct Ascent)の兵器が主に開発された。一方、旧ソ連では、地上から打ち上げたロケットで誘導体を目標となる人工衛星と同じ軌道に遷移させ、接近させて自爆し、破片によって目標を破壊する共通軌道方式(Co-Orbital)の兵器(キラー衛星)が研究された。

核弾頭による衛星破壊も考案されたが、1967年の宇宙条約において、大気圏外における核兵器利用が制限されたため、核による衛星攻撃兵器はそれ以降すすめられなかった。

衛星攻撃兵器の目標は敵側の人工衛星である。現在人工衛星の役割は偵察・通信のみならず多岐にわたっており、衛星誘導装置やグローバル・ポジショニング・システムなどもある。冷戦期においては、特に偵察衛星が主攻撃目標とされていた。

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米空軍では1959年に空中発射ASATの実験を試みている。空中発射弾道ミサイル開発計画であった「WS-199ボールド・オライオン計画」(Bold Orion)はB-47ストラトジェットをミサイルの発射機にした計画であったが、肝心のB-47の旧式化によって計画の見直しを迫られた結果、対衛星ミサイルとしての利用が考えられた。このWS-199ボールド・オライオン計画の三段式ミサイルを使った発射実験は1959年の10月13日に科学衛星をかすめる形で実施され多少のずれがあったものの一応の成果を出して終了した。

米海軍では、1959年7月から始まった「ノッツニク計画」ではF4Dスカイレイ(Skyray)戦闘機によって5段式ロケット・モーターを持つNOTS-EV-1ミサイルが成層圏まで運ばれて発射された。発射時950kgで最終段は1kg程の小型ミサイルであった。何度かの実験でもあまり良い結果が得られなかった。1960年7月からの「キャレブ計画」においてNOTS-EV-2ミサイルが同じくF4Dスカイレイ戦闘機とF-4ファントム戦闘機で運ばれ発射実験が行なわれた。

アメリカ合衆国でもっとも実用に近づいた衛星攻撃兵器は、空軍の対衛星ミサイルASM-135である。1969年のソビエトの衛星攻撃成功のニュースに刺激されて、1977年から開発を再開した。新たに始まった「ASAT計画」は、航空機発射の2段式固体ロケット・モーターを持ったASM-135 空中発射ミニュチュア・ビークル(Air Launched Miniature Vehicle)と呼ばれるミサイルとその弾頭にあたるミニチュア・ホーミング・ビークル(Miniature Homing Vehicle、MHV)より構成された。ロケット・モーターは2段とも既存のミサイルのものを使用し、60kgのMHVを最大1,900kmの高さまで打ち上げることができた。これは低軌道衛星の高度をすべて含んでいたため、偵察衛星を攻撃するのには十分であった

1984年1月から実際の衛星を目標にした試射実験が行われた。ASM-135ミサイルはF-15戦闘機に搭載されて高度1万2千メートルで空中発射された。5回の実験内4回は目標衛星にMHVを命中させることに成功し、標的衛星を使わない仮想発射実験も3回行なった。開発は順調であったが、破壊された衛星の破片がスペースデブリとなって衛星軌道上に残留し、今後の宇宙開発計画に対して危険をもたらすと判断した米議会の決定によって計画は中止された。

地上もしくは衛星からのレーザー攻撃も検討され、1997年にはMIRACL (Mid-Infrared Advanced Chemical Laser) と呼ばれる対人工衛星レーザーの実験も行われた。しかしその後は、衛星攻撃は主に目潰しを目的とした攻撃にシフトして研究されている。

この他に、地上配備型対衛星ミサイルとして、米陸軍では1963年から1966年までとして3段式のLIM-49ナイキ・ゼウスミサイル(Nike Zeus)を太平洋クェゼリン環礁に実戦配備していた。[1]また、米空軍は1964年4月からソーミサイルをハワイのジョンストン島で実験を行い、同年9月から1974年8月まで同島で実戦配備していた。これらは核弾頭により衛星破壊を試みるものである。

なお後述するように、2006年9月に中国の対衛星兵器による攻撃を受けたとの報道がされていることから、米国の衛星には一定の被攻撃を感知する能力が付与されていると考えられる。

2008年2月21日には軌道を外れ降下してきたアメリカ国家偵察局の衛星を高度240kmで撃墜している。これは、レイク・エリー(CG-70 タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦)が弾道ミサイル防衛用に開発されたスタンダードミサイル(SM-3)を用いたものである。

機甲軍団

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機甲軍団(きこうぐんだん)とは、機動戦を実施する主に戦闘車両からなる大規模部隊。師団或はそれ以上の規模のものを指す。主力となる兵器には戦車や歩兵戦闘車などがある。近年では歩兵部隊よりも重視される傾向にある。ナチスドイツ軍のものが有名。

機甲とは従来の騎馬にかわるもので騎兵に同じく機動戦の説く速度による優位で敵を殲滅する。
第一次世界大戦中、ソンムの戦いで英軍が初めて戦車を使用した事から戦後、より戦略的に用いる事が考えられるようになった。特にナチスドイツ軍は実際に戦闘を経験した事もあり遅ればせながらも急速に成長し初めて機甲軍団を組織した。一方のイギリスやフランスでは兵器としての戦車の開発は抜きん出ていたが、戦略思想で大きく遅れを取り第二次世界大戦初期の電撃戦ではマジノ要塞などでの要塞戦を用い大敗した。

2009年04月11日

グリーンスリーブス

グリーンスリーブスまたはグリーンスリーヴス(英語原題:Greensleeves)は、16世紀に遡るイングランドの民謡であり、またこの歌のチューンである。作者は不詳である。チューンは2種類あった可能性があるが、これも現在、明確には分からない。

起源 [編集]
エリザベス朝の頃、イングランドとスコットランドの国境付近の地域で生まれたといわれている。記録では、1580年に、ロンドンの書籍出版業組合の記録に、この名の通俗的物語歌(EN)が、「レイディ・グリーン・スリーヴスの新北方小曲(A New Northern Dittye of the Lady Greene Sleeves)」として登録された。この印刷文は一部も伝存していない。この歌は、1584年の『一握の楽しみと歓喜』のなかで、「レイディ・グリーン・スリーヴスの新宮廷風ソネット(A New Courtly Sonnet of the Lady Green Sleeves)」として残っている。この為、未解決の議論が生じている。すなわち、古く登録された「グリーンスリーヴス」の歌のチューンが、そのまま流布したのか、あるいは2つの歌のチューンは別であり、そのいずれが今日広く知られている曲なのか。現存する多数の歌詞は、今日知られているチューンに合わせて作詞されている。

この歌は16世紀半ばまで口頭伝承で受け継がれ、17世紀にはイングランドの誰もが知っている曲となった。また、リュート用の楽譜も、17世紀初頭にはロンドンで出版されている。

作曲者の伝説
広く流布している伝説ではあるが、証拠が確認できないものに、この曲は、ヘンリー8世(1491年 - 1547年)が、その恋人で後に王妃となるアン・ブーリンのため作曲したというものがある。トマス・ブーリンの末娘であったアンは、ヘンリーの誘惑を拒絶した。この拒絶が歌の歌詞のなかに織り込まれていると解釈できる(「(我が愛を)非情にも投げ捨て、cast me off discourteously」という句が歌詞に入っている)。

この伝説は真偽不明であるが、歌の歌詞は今日でもなお大衆の心のなかで、一般にアン・ブーリンと関連付けられている。しかし実際のところ、ヘンリー8世がこの歌の作者であったということはありえないことである。何故なら、歌はヘンリーが崩御した後でイングランドで知られるようになった詩のスタイルで書かれているからである。

緑の袖の意味 [編集]
歌のなかのレイディ・グリーン・スリーヴスは、非常に高い蓋然性で、性的に乱れた若い女性であり、恐らく娼婦であったろうことが広く認められている。彼女の袖(スリーヴ)の色が緑であることは、恋人との情事が草のなかで行われ、草の色が染みついたことを示唆している。またイングランドでは、緑という色は、売春と関連付けられていた。「緑の袖」は取り外しができ、その職業を示す印として、娼婦が付けることを求められたともされている。


歌詞 [編集]
Alas, my love, you do me wrong,
To cast me off discourteously.
For I have loved you for so long,
Delighting in your company.

Chorus:
Greensleeves was all my joy
Greensleeves was my delight,
Greensleeves was my heart of gold,
And who but my lady greensleeves.


文学作品での言及 [編集]
1602年頃に書かれた、シェイクスピアの喜劇『ウィンザーの陽気な女房たち』において、フォード夫人が説明なしで、「グリーンスリーヴス」のチューンに2度言及する場面があり、フォルスタッフは後に大声で叫ぶ:

Let the sky rain potatoes! Let it thunder to the tune of 'Greensleeves'!
空よ、じゃがいもの雨を降らせよ! 「グリーンスリーヴス」のチューンで雷鳴を轟かせよ!
これらの仄めかしは、当時、この歌が一般によく知られていたことを物語っている。

派生作品 [編集]
この旋律は、様々な曲の主題として用いられる。

グスターヴ・ホルスト:『吹奏楽のための第2組曲』 - 第4曲『「ダーガソン」による幻想曲』の対旋律。なお、この第4曲は編曲されて弦楽合奏のための『セント・ポール組曲』にも転用された。
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ:『グリーンスリーブスによる幻想曲』

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古代ギリシアの音楽

ヨーロッパ文化を特徴づけているもの、例えば哲学、科学、芸術は古代ギリシアに起源を持っている。音楽もまたそうである。音楽は古代ギリシア人の生活においてなくてはならないものだった。社会的なもののほとんどすべてに音楽は姿をあらわす。結婚式から葬儀、宗教的祭事、演劇、民謡、叙事詩の朗唱などのなかで音楽は用いられた。現在までそれなりの数の古代ギリシア音楽の断片が残っており、またそれらの音楽について書かれた文章も残存している[1][2]。

そうしたものによって古代ギリシア音楽がどのようなものであったか、またどのような社会的な役割を持っていたのかも推測することができる。たとえば音楽の経済的な側面、音楽家たちの身分、重要性などである。もっとも焼き物や煉瓦の上に残された古代ギリシア音楽の記録は音楽そのものよりも、音楽についての叙述のほうが多いのではあるが。

英語のmusicの語源はゼウスの娘、女神ムーサに由来する。ムーサは創造神であり、知の守護神であった。

ピュタゴラスと彼の弟子たちは、宇宙の調和についての知識の根本として"天球の音楽"(music of the spheres)を研究した。どのようにして弦が空気を震わすのか、どのようにして倍音が奏でられるか、ある倍音と他の倍音の数学的関係はどうのようなものか…などである。

注意しなければならないのは、これらのギリシア人によってなされた研究が、実際に演奏される音楽を作り出すための厳密な形式についてというよりは、どのように宇宙が構成され、その宇宙をどのようにわれわれは知覚できるかという数学的、哲学的記述であるということである。"天球の音楽"としてピュタゴラスたちが研究したのは、星、太陽、惑星、そして調和の下に波打つすべてのものであった。

どのような音楽であったか
ある場所でプラトンは「新しい音楽」について次のように批判をしている。
「私たちの音楽はかつて、確立された様式を持つ音楽とそうでないものとに分かれた。知識や教養のある見識は、口笛、群集のざわめき、拍手のような無分別で非音楽的なものを禁じた。静かに聴き、知ろうとすること、これがルールだった。しかしその後、音楽の規律、形式に無知な詩人たちによって非音楽的な無秩序がもたらされてしまった。彼らは、音楽には正しきこと、間違ったやり方などないと、自身を欺いて言った。彼らは、音楽はそれがもたらす愉悦によって良し悪しが判断されるべきだといった。彼らの言うところまた彼らの理論は、ずうずうしくもしかるべき判断ができていると大衆に思い込ませ、大衆に悪影響を与えている。だからわれわれ観客、つまりかつて静寂を守っていたのに、時を経ておしゃべりになった、この音楽の貴族は芸術文化に悪影響である。批評は音楽でなく、デタラメな才知、規律を破壊する精神であり、名声のためのものである。」[3]

ここでプラトンが言う「確立された様式」や「音楽の規律」ということばから、次のようなことが想像できる。ピュタゴラスが考えた音楽のシステムが古代ギリシアに定着していたこと。そして公共の場所でプロの音楽家によって演奏が行われていたということである。そういう状況にあってプラトンは「ピュタゴラスの調和の原理」が無分別な精神に落ちぶれたことを嘆いたのであろう。この「無法者」のなかにおそらくアリストクセノス(Aristoxenus 前4世紀)が含まれていた。彼はピュタゴラスが重んじた数学的な音楽体系とは別のもの、つまり耳によって捉えた音楽理論を考えていた。アリストクセノスは「私たちは、本質的、直接的に"天球の音楽"を聴くことができない。ならば単純に、多くの人にとって心地よい音楽を演奏し、歌えばいいではないか」と主張した。この単純な哲学は後の平均律の考えを支えた。また20世紀の調性音楽、無調音楽という2つ潮流に分かれ出たことと比較することができるかもしれない。

なんでもいいから心地よい音楽を演奏する、ということはプラトンの時代に確立した「様式のエートス(=音楽の道徳論→音楽には道徳的な側面があり、人間の精神はこれに左右されるという考え)」を冒涜するものだった。これはつまり当時のギリシア人が様々な音階様式にたいして感情的で、超自然的な特徴を見出し、それらに関係した複雑な音楽体系をつくりあげていた、ということを示している。古代ギリシア各地の部族、民族の名前から派生した様々な音階名(モード)はぞれぞれの民族の気質、精神性をあらわしている。例えばドーリア音階は荒々しく、フリギア音階は官能的…などである。プラトンは別の場所で様々な音階、例えばドーリア式、フリギア式(Phrygian mode)、リディア式(Lydian mode)などの様式の適切な使用法について述べている。しかし私たち現代人にとって短調は悲しげ、長調が楽しげであるというような単純な区別を除けば、プラトンの音楽に対する考えは理解しにくい。

音階は全音の配置の仕方よって変化する。例えば現代のピアノの鍵盤上ではドとレ。また半音はドとドのシャープのように。現代の西洋音楽が相対的に少ない数の音階を区別するのに対して、古代ギリシアでは全音音階、半音階、さらに4分音階に分けていた(4分音はピアノでは鍵盤と鍵盤の隙間に存在することになる)。この細分化された古代ギリシア音階のシステムは、それぞれのエートスと結びついた幅広いレパートリーを作り上げるために考案された。ここではたとえばオクターブの知覚や5度の協和音が普遍的なものである(少なくとも異なる文化の間で幅広く共有されている)といったことは述べられていない。ある音階のある音の並び方が「自然に」特定の感情、個性、人格に対応するなどということについての決定的な証拠はない。また古代ギリシアの音階に対する考え方(またその音階名)がのちのローマ、そしてヨーロッパの中世の音楽に受け継がれ、例えば「リディア式教会旋法」などの名前が用いられても、それは単に歴史的な表面上のつながりであって、もともとの古代ギリシアの音楽とは関係がないうえ、特に古代ギリシア人が音楽に対して抱いた「エートス論」とは大きな隔たりがある。

また今日、少なくともプラトン以前の古代ギリシア人が聞いていた音楽はもっぱらモノフォニックであったと私たちが考えていることに対してプラトンやアリストクセノス、またのちのボエティウスが書き残したものは警告している。従来の音楽学では、古代の文化は進んだ和音のシステムを持っておらず、ハーモニー(調和のもとに複数の音を同時にならす)という技法は中世のヨーロッパにおいて発明されたものだと考えられていた。しかし例えばプラトンは国家の中で、音楽家たちがひとつ以上の音を同時に演奏することについて述べている。しかしそれでもどうやら和音を用いることは高度なテクニックであると考えられていたらしい。オレステースの断片においては明らかに複数の音についての指示がある。以上のことから、また歴史的な証拠から私たちが言えることは、「古代ギリシアの音楽家たちはまぎれもなく同時に複数の音を鳴らすというテクニックを利用していたけども、最も基本的な、そしてよくしられたギリシア音楽の響きはモノフォニックだった」と。

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2009年03月27日

ユリア100式の能力・特徴

発覚した物から。
タンカー ドル箱 フィクサー チョンチ 微熱 フッター バーム トレー オペラ ロジス トーナメ ヤーコン ファーマ ジェノサ オフコン プロパ ビジタ お祭り ゴング ギタリスト ゲスト ハンド 北風のキ ピラニア リボン パイル ハイブリ チュウ ハット ワイツ ムラサ 雨のタン ストーン スターチ テーブ シンシア セピア バーナー しもにた イソウ サーチスギ パラメ シルフィ リッツ そうま タイム オスロニク キーポイ シャイニ ばるべーら

「ダッチワイフであるユリア100式は最初に挿入されたペニスをインプリンティングしその男の一生の性の奴隷になる(動物も例外ではない)」
後に「ちゃんと一番奥まで挿し込んで3秒間インプリンティングしなければならない」が追加
「秒速16回の速さで手コキができる。足コキもできる(秒間10回)」
「バキュームフェラは吸引力30,000cc」
「膣内は圧力100mmHg」
「人間工学に基づいた起伏とカズノコ天井を備えている」
「大量の精液もおいしくゴックンできるよう、味覚設定されてる」
「フェラ時、潤滑をよくするため大量の唾液が分泌される」
「刺激物に対してかなり敏感」
「DV(ドメスティックバイオレンス)にも対応できるよう丈夫に作られている(105式も然り)」
「ダッチワイフなので下ネタ系全般の話は、たとえつまらなくても笑ってしまう」
「ありとあらゆるアブノーマルなプレイが可能…例(露出プレイなど)(これも105式然り)」
「ピロートーク用に100の小話をストックしているためSEX後のアフターケアも完璧」
「ユリア100式にとってアナルは別腹」
「料理といってもダッチワイフなため(?)か皮をむく事と、こするという事のみ得意(他は下手)なため作れる品はかなり限られる」
「ペニスの扱いにはかなり慣れているため本人以上に気持ちいい場所を心得ている。そのため体温、脈拍だけで射精するタイミングがわかる。なので焦らしプレイも可能」
「ダッチワイフなため(?)普通の人命救助の知識はないが誰が見てもSEXをしようとしてるようにしか見えない人命救助をする(それで主人公は1回助けられた。が、その人命救助に至るまでの原因の発端はユリア100式。SEXもする寸前まで行ったが結局意識が戻った直後の瞬介のプロレス技により阻止された)」
「過去に行われたすべてのプレイが生々しく記憶されていていつでも思い出せて話せる」
「携帯電話のようにマナーモードもあり完全に消音可能」
「声も自由に変えられてアニメ声からハスキーボイスまで可能」
「ありとあらゆる感染症に対し免疫をもっている」
「秋葉原は第2の故郷」
「内蔵されたスイッチを押すことにより自主規制が解除され18歳未満の男にもインプリンティングを求めるようになる」
「体臭から催淫フェロモンが出るため周りにいる動物(嗅覚が鋭い犬など)が発情して襲ってくることがある」
「相手が初めての場合も想定してインプリンティングまでのガイドライン機能も搭載している」
「白濁した液体には異常な関心を示す」
「下着選びは実用性重視である」
「GPS機能搭載で、あらゆるラブホを検索できる」
「相手が童貞であることを瞬時に見抜く」
「初心者ナビがついている」

ユリア105式の能力・特徴 [編集]
今までにわかっているもの。性能だけという面ではユリア100式を上回る。

「手コキは秒速20回」
「バキュームフェラは40000cc」
「パイズリは30Hz」
「マニュアル仕様からオートマ仕様になったため誰でも気軽に性処理ができる」
「ユリア100式と違い(とは言ってもユリア100式も多少強引にしようとすることはある)性処理に対し手段を問わないため強姦まがい(まがいというよりほぼ強姦)の行為をすることがある」
「ありとあらゆるアダルトグッズに精通している」
「バストは何年経っても垂れない保障つき」
「何度使用してもヴァギナは黒ずんだり緩んだりしない」
「100人犯っても大丈夫!がキャッチフレーズ」元ネタを知ってる人は、にやりとしたはず。
「クーリングオフの対象外品」
「ダッチワイフなので愛という単語が頭の中の内蔵辞書に入っていない(100式はなんとなくだが理解している)」
「ユリア100式よりも英語が得意」

単行本 [編集]
第1巻 2006年8月29日刊行 ISBN 4-592-14401-5
第2巻 2006年11月29日刊行 ISBN 4-592-14402-3
第3巻 2007年3月29日刊行 ISBN 978-4-592-14403-8
第4巻 2007年7月27日刊行 ISBN 978-4-592-14404-5
第5巻 2007年12月20日刊行 ISBN 978-4-592-14405-2
第6巻 2008年3月28日刊行 ISBN 978-4-592-14406-9
第7巻 2008年6月27日刊行 ISBN 978-4-592-14407-6
第8巻 2008年10月29日刊行 ISBN 978-4-592-14408-3
第9巻 2009年3月27日刊行 ISBN 978-4-592-14409-0

類似コンセプト作品 [編集]
『りりあ01』―緒々田みの虫原作の類似コンセプト作品(全2巻)。主人公の大学生の元に届けられた、エッチ機能付き美少女メイドロボ「りりあ」の御奉仕生活を描く。
『My・どーる』―りりあ01のプロトタイプ作品(全3話)。同氏の短編集『天使の憂鬱』に収録。
『ぼくのマリー』―主人公は、あこがれの人「真理」さんに話し掛けることもできない。そこでみずからの技術を駆使して、姿形が彼女に瓜二つのアンドロイド「マリ」を製作してしまった。
『無敵鉄姫スピンちゃん』―主人公は博士が完全エッチ目的で作ったロボットである。
『やけっぱちのマリア』―ヒロインがダッチワイフ。主人公のエクトプラズムが乗り移って人間生活を営むようになる。1970年に福岡県で有害図書に指定されている。
『ぶっとび!CPU』―ヒロインは人型パソコンだが、動力源は主人公とのエッチ。
『大江戸せくすぽっぷ』―舞台は江戸時代だが、ヒロインがダッチワイフ。主人公の妹の魂が宿っている。「セクスポップ」とはオランダ語でダッチワイフの意。

近世におけるピュロン主義の再発見

1562年、セクストス『ピュロン主義哲学の概要』のラテン語訳によってピュロン主義が学問的に再発見されることになった。この再発見は、モンテーニュ、デカルト、ヒューム、カントなどの近世哲学に、「きみは何ごとを知りうるか?」という問いを提起し、認識論を中心とする近世的な懐疑論を形成した[44]。

デカルトの懐疑論と「我思う、ゆえに我あり」 [編集]
再発見されたピュロン主義に対抗し、新たな確実性を求めたデカルトは、アウグスティヌスの自己の確実性を近世的な形で発展させた。彼は様々な感覚的事物を疑うことから初め、そして最後に、次のような確実性を発見したと述べる。

「私は考える、ゆえに私はある」というこの真理は、懐疑論者のどのような法外な想定によってもゆり動かしえぬほど、堅固な確実なものであることを、私は認めたから、私はこの真理を、私の求めていた哲学の第一原理として、もはや安心して受け入れることができる、と判断した。

? デカルト『方法序説』, 野田又夫訳『世界の名著22 デカルト〔第3版〕』中央公論社、昭和42年、p.198.

ヒュームの懐疑論と心理主義 [編集]
デイヴィッド・ヒュームは、古代懐疑論と同じように感覚的事物の存在を承認し[45]、デカルト的懐疑に見られるところの、まず感覚を疑ってみるという立場とは全く逆のアプローチを行った。ヒュームが疑うのは、経験的事実ではなく、そこに設定される因果関係と帰納によるその正当化である。ヒュームによれば、「初めて存在するものには、すべて存在の原因がなければならぬということは、哲学で一般的な基本原則となっている」が、「よく調べてみれば、原因の必然性を証明するためにこれまで提出されてきた論証はどれも誤っており、こじつけである」[46]。

このように、新しい生成にはすべて原因が必要だという考えは知識から引き出されるのではなく、またいかなる学問的推論からも引き出されないのだから、どうしても観察と経験とから生じるものでなければならない。そこで、当然、次に問題となるのは、いかにして経験はそのような原理を生じさせるのか、ということである。しかし、私はこの問題を次のような問題にはめ込むほうがもっと都合がよいと思うので、それをこれから研究の主題にしよう。それは、われわれはなぜ、しかじかの特定の原因は必然的にしかじかの特定の結果を伴わねばならないと断定するのか、また、なぜ、一方から他方へ推理を行うのか、という問題である。

? ヒューム『人性論』第1編3部3節, 大槻春彦訳『世界の名著27 ロック ヒューム〔第3版〕』中央公論社、昭和45年、p.433.

このような問題に対する最も簡潔で常識的な解答は、因果的推論が帰納によって正当化されるからである。ところが、ヒュームの考えによれば、観察と経験から因果関係が帰納によって正当化されるということはありえない。なぜなら、帰納の根拠となる自然の斉一性の原理は実際に観察も経験もされず、論証されることもないからである[47]。かくして、ヒュームの徹底された経験主義は、次のような結論に至る。

このようにして、理性によっては原因と結果の究極的な結合を見出し得ないだけではなく、さらに経験がそれらの恒常的な相伴を知らせたあとでさえも、なぜわれわれはその経験をすでに観察された個々の実例以上に拡げるのかという点について、理性によっては納得が得られないのである。したがって、心が一つの対象の観念もしくは印象から、他の対象の観念もしくは信念へと移るときに、心は理性によって規定されるのではなく、想像においてこれらの対象の観念を連合し、結び合わせるようなある原理によって規定されるのである。

? ヒューム『人性論』第1編3部6節, 大槻春彦訳『世界の名著27 ロック ヒューム〔第3版〕』中央公論社、昭和45年、p.438.
天の浮橋 ワインレッド ルバーブ 優しい響き マナー スピネル うむら タルブロク ドライブ ドマリエ スペツナズ シルク ダンネージ タイフーン かきょう ストリ 薪の音 次世代 スコア ロッジ まいこ ギャンブ リプリン リマーク しまやま フィト マリッジ ラニン オダマキ ジンバク ステップ フリー ストック ムッシュー かまど シンボリ トルクア ブルネイ メクチュ ライト ノッブ ソンブ 道のつづき ミノス マキシム データ ラチア ビンゴ シャド マキザサ

では、対象の観念を連合し、それらを結び合わせるような原理とはいったいなんなのか。このような設問に対して、ヒュームは真理に関する心理主義、すなわち客観的な真理に代わる主観的な尤もらしさという規則を採用する。

そういうわけで、こんなに念入りにその仮想の一派の議論を私が示してみせる意図は、私が立てた仮説の真理を、すなわち、原因と結果に関するすべての推論は習慣にのみ起因すること、また、信念はわれわれの本性の知的部分の働きというよりもむしろ情的部分の働きであること、これらの真理を読者に気づかせることにほかならない。

? ヒューム『人性論』第1編4部2節, 大槻春彦訳『世界の名著27 ロック ヒューム〔第3版〕』中央公論社、昭和45年、p.460.